7Nov
私は幼い頃より、お寿司が大好きなのです。
最後の晩餐に一つだけと命令されたら、お寿司屋
さんの、お店ごと貸切を注文するでしょう。
ネタケースの右から左まで2往復注文して日本酒を一杯
やりながら、もう一往復して最後の晩餐と致しますか。
理屈や経験ではなく、体が、いや本能が私にお寿司を
食べさせるのです。もうこれは神が私に与えた試練とし
てお寿司を食べているに違いないのです。
一緒に食べに行く友人達も、私の食べ姿を見ていて、最
初は感動して“お見事!”と感心しきりなのですが、途中
から“いい加減にしろ!”とか“見てて、こっちが気持ち
悪くなる”などと言ってますが、私は神様の与えた試練
を黙々とこなしているのです。
人の目なんぞは気にする訳がない。
第一、私が食べれば、お寿司屋が儲かる、そして日本の
景気、しいては世界の景気が良くなるはず。
そして、世界は平和になるのだ。間違えない!
食べない理由は何もない。さあ、また注文だ!
“すみませーん、中トロお願いします。”
また、世界の平和に貢献してしまった。
お寿司と私の関係は世界平和の為に神が私に与えた試練
であって、一生を掛けてなすべき重大事なのです。
とても、辛い試練ですが、必ずや、やり遂げる所存です。
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